紀行の締めくくりは、やはりお墓ですね。(実際は、1番に訪れた場所なんですけど…)ドビュッシーが眠るのは、高級住宅街の16区にあるパッシー墓地です。1918年3月25日、第1次世界大戦下ドイツ軍の砲撃が続くパリの街で、ドビュッシーは55年の生涯を閉じます。

最期の瞬間は親しい人たちに手を取られて迎えたと言われていますが、誰よりも別れが辛かったのは、愛娘の愛称シュシュだったことでしょう。そのシュシュも不幸に次の年にジフテリアにて亡くなっています。

このお墓には、ドビュッシー、シュシュ、そして奥さんのエンマが仲良く眠っています。

ドビュッシーが生涯の多くの時間を過ごしたこのパリ、今でも町中がアートで溢れています。メトロと呼ばれる地下鉄の構内では、様々な編成のアーティスト達がパフォーマンスを繰り広げ、ひとたび地上を歩けば、1夜のうちに地面にチョークアートが完成されている!!ちなみに、地下鉄構内での演奏はライセンス制です。市が行う厳しいオーディションに合格したものしか演奏が許されていないのです。実力は折り紙付き。

そんな街は、昔も今も「芸術の都」と呼ばれるにふさわしい風景で満たされていました。セーヌ川の右岸と左岸を行き来することが文化人のトレンドであった時代、敵国のドイツ人が戦火で包む事を拒否した時代…すべての記憶を刻み込んだ街だからこそ、世界中の多くの旅人の憧れであり、多くの音楽家や芸術家の憧れで有り続けるのだと感じた旅でした。