Walk On vol.53 伝説と歴史の舞台を歩く 繖山(きぬがさやま)

近江八幡市・東近江市

DATA

  • 歩行距離 約6km
  • 歩行時間 約2時間30分

 

 

観音正寺に伝わる聖徳太子と人魚の物語

 

 

ご朱印に押された鱗(うろこ)の尻尾は人魚!?

 

西国三十三所草創1300年(※)を迎え、昨今のご朱印ブームもあいまって、観音霊場を巡る参拝者があとを絶たない。近江八幡市にある繖山(きぬがさざん)観音正寺(かんのんしょうじ)も第32番札所にあたり、ご本尊をお参りしたあと、納経所でご朱印をいただくことができる。草創1300年記念として押された特別印を見ると、なんと鱗(うろこ)のある尻尾の絵が…。この印は寺に伝わる人魚を表しているという。

 

近江には聖徳太子が創建したと伝えられる寺院が数多く、推古天皇13年(605年)に開創された観音正寺もそのひとつだ。寺伝によれば、太子が近江の地を訪れたとき、琵琶湖から人魚が現れ「私の前世は漁師だった。魚の殺生(せっしょう)が過ぎたため、このような姿になった。どうか寺を建て、観音を祀って供養してほしい」と哀願されたという。太子はその願いを聞き入れ、自ら千手観音像を刻み、堂塔を建立したというのだ。

 

 

難所の霊場、繖山山上の観音正寺へ

 

繖山(きぬがさやま)の山上にある観音正寺へは石寺集落から約1200段の石段を登る表参道があるが、五個荘側の結(むすび)神社からアプローチする裏参道なら自然豊かな山の雰囲気も楽しめる。山上駐車場から続く林道に合流し、しばらく歩くと「奥の院」と呼ばれる巨岩の磐座(いわくら)があり、聖徳太子が霊験(れいげん)を得て妙見菩薩を含む五仏を彫った場所だという。ここから境内はもうすぐだ。

 

寺に山門はないが、阿吽(あうん)一対の仁王像が立つ境内に入ると、西方に蒲生野の田園風景が開けてくる。標高433mの山頂近くにある霊場だけに、徒歩の巡礼者にとって難所であったことは想像できる。参道に並ぶ聖徳太子像や釈迦如来坐像(濡佛)、観音霊場砂踏所、護摩堂などをたどると、その奥に立派な本堂が見えてくる。

 

 

太子信仰と人魚救済の伝説が融合?

 

実は、この寺にはかつて人魚の“ミイラ”が存在したという。しかし、1993年の火災で本堂が焼失し、ご本尊とともにミイラも失われてしまった。2004年に本堂は再建され、総白檀(びゃくだん)の千手千眼観世音菩薩坐像が開眼。本堂の正面右にある源平池の背後には石積みの山があり、その中にいくつかの観音像と並んで小さな人魚の像がひっそりと立っている。手を合わせる姿は、太子に哀願する人魚の逸話をあらわしているのだろうか。

 

日本書紀には推古天皇27年(619年)に「蒲生河に物有り。其(そ)の形人の如(ごと)し」という記述がある。近江の国司が「蒲生川(現在の佐久良川)に人魚がいた」と報告したというのだ。このエピソードについては当欄で紹介した小姓が淵(club keibun2014年7月号掲載)に詳しい。これらの人魚伝説と近江に広まった太子信仰が融合して、新たな伝説が生まれたのかと想像するのもまた楽しい。

 

 

※養老2年(718年)、大和国長谷寺の開山徳道(とくどう)上人が閻魔(えんま)大王からお告げを受け、授かった起請文と宝印を極楽浄土への通行証として、人々に観音信仰、及びその霊場へ参ることをすすめられてから1300年になる。