Walk On vol.52 伝説と歴史の舞台を歩く 滋賀里

大津市

DATA

  • 歩行距離 約3.5km
  • 歩行時間 約1時間

 

 

志賀の大仏(おぼとけ)に見守られ崇福寺(すうふくじ)跡へ

 

 

“幻の都”大津京の鎮護の寺とは

 

昨年(2017年)は大津京遷都1350年という節目の年で、大津市ではさまざまなイベントが開催されていた。天智6年(667年)、天智天皇が飛鳥より大津へ都を遷(うつ)し、壬申(じんしん)の乱の後に飛鳥へ都を戻されるまでわずか5年ほどの都だった。大津市内には、昭和49年(1974年)以降に発掘された近江大津宮錦織(にしこおり)遺跡など宮殿跡とみられる遺構があるが、全容はいまだに不明で“幻の都”と呼ばれている。

 

この大津京の探求の手掛かりとして昭和14年(1939年)に発掘されたのが崇福寺(すうふくじ)跡である。大津京遷都の翌年(668年)、都の鎮護を目的として天智天皇の勅願により創建されたもので、当時は荘厳な堂塔を構える大寺院だったという。しかし、鎌倉時代の後半には廃寺となり、その姿は歴史の表舞台から消えた。

 

 

山中越の入口で“志賀の大仏”に出会う

 

崇福寺跡は、近江大津宮錦織遺跡の北西、比叡山の麓の南北に並ぶ尾根上にある。滋賀里と呼ばれるこの付近には縄文、弥生、古墳時代の遺跡が多く、また、京都と近江を結ぶ山中越(やまなかごえ)の古道が通っていて、のどかな風景の中に歴史の息吹が感じられる。

 

崇福寺跡までは、この山中越のルートを歩く。志賀八幡神社、千躰(せんたい)地蔵堂を経て、緩やかな集落の坂道をのぼっていくと背後に琵琶湖が見えてくる。やがて山道になると、山の傾斜地に横穴式石室がいくつも点在する百穴(ひゃっけつ)古墳群に到着した。

 

さらに、しばらく山道を進むと、高さ約3.1mの石造阿弥陀如来坐像が私たちを迎えてくれる。花崗岩(かこうがん)に掘りこまれたその表情はとても穏やかだ。“志賀の大仏(おぼとけ)”として愛され、山中越の旅人の道中の安全を見守っていたのだろう。

 

 

三条の尾根に広がる崇福寺の遺構

 

山中越の分岐から東海自然歩道へ向かう(2017年11月現在、崇福寺跡~ケーブル延暦寺駅の区間は崩落個所があるため通行止め)。「崇福寺跡」の案内に従って南の尾根にのぼると、金堂(こんどう)跡、講堂跡の基壇(きだん)が残る平坦地がある。さらに二つの谷筋を挟んで、中尾根に小金堂(しょうこんどう)跡や塔跡、北尾根には弥勒堂跡の基壇が残っている。中尾根の塔跡の心礎(しんそ)からは舎利(しゃり)容器(国宝)が発見され、濃緑色の瑠璃(るり)製小壺の中に水晶の舎利3粒が納められていたという。

 

今は跡地と推定される平坦地の広さと基壇の配置などから往時の建物の規模などをイメージするしか術(すべ)はないが、大津京が存在した時代と時空を超えてつないでくれる貴重な場所であると考えると心が躍る。