しがぎん経済文化センター

[25-05]近江の街道を探る 講師 木村 至宏 先生

第1回「近江は、湖・山・道の国」

木村先生には、文化講座開始当初の第3期から第5期にご登場いただきました。今回はどのような講座にしていきたいとお考えですか?


以前講師を務めたときは、最初のテーマが「近江の街道を探る」で、その次が「近江山の文化史」でしたね。前回から10年が経ち、地形は変わらないけれども、道の持つ役割や価値は大きく変わってきたのではないかと思っています。


今回、改めて「近江の街道」をテーマに掲げられたのは、改めて道の役割や価値を考えてみよう、ということなのでしょうか?


そうですね。

そもそも、近江の歴史や文化を構築しているものは三つあると思っています。一つは琵琶湖の存在です。単に大きな湖というのではなく、地域へ果たしてきた大きな役割があります。二つ目は、近江を取り巻く美しい山々。山を見ながら生活する方々が非常に多いですし、山のふもとにお寺が作られたり、仏像ができたりということで、実は滋賀県は日本で四番目に国指定の重要文化財が多いんですよ。


四番目ですか!


はい。意外と皆さんご存知ないんですが、京都、東京、奈良、滋賀です。東京が二番目なのは、地域で重要文化財を管理できない場合、国で保管する必要があるからです。私はいつも言っているんですが、“在地(ざいち)性”でいえば、京都、奈良、滋賀の順ですよと。そして、重要文化財が多いというのは山があるからなんです。


山が文化財の多さと関係しているんですか?


794年、京都に平安京が遷都されましたよね。そして京都のちょうど鬼門にあたる比叡山に延暦寺が建立されました。延暦寺ができたことで、近江周辺の山々の頂上や中腹にお寺ができたんです。たとえば鈴鹿山系とか伊吹山系とか、あちこちにお寺ができた。ただ、寺はその後、火災や戦火で失われていきますが、仏像は地域の人たちが守ったんですね。


ああ、なるほど。


近江の場合は、地域の人たちが仏像を大事に守ってきたことで、1000年以上昔に作られたものを今の私たちが追体験することができる。つまり、滋賀県に重要文化財が多い背景には山があったからなんですよ。


それを守っていくというのがまた、近江の風土ですね。


風土性という点からなら、これからお話させていただく「道」が、湖、山に続いて近江の風土を作ってきた三番目の大きな要因です。

「近江の歴史って、一言で言ったら何ですか」と聞かれたとき、私なりに要約すると「湖の国」「山の国」「道の国」の三つだろうと考えています。これから近江を研究していく、あるいはいろんなことを知りたいと思ったときの糸口に、この三つから入っていけば、ある程度全体像がわかると思いますよ。


琵琶湖は近江の国のちょうど真ん中にあって、交通の妨げにもなる一方で、大きな湖としての役割も果たしていますよね。これこそが滋賀県ならではの特異性・・・非常に強い個性だと思うんです。こういった環境の中で近江には街道が発達します。その背景は具体的には何なのでしょうか?


滋賀県の地勢的、地形的な背景が大きいと思います。近江の国は、この細長い日本列島のほぼ真ん中に位置しているんです。西に行くにしても、東に行くにしても、北や南に行くとしても、近江を通らないといけないという、地形的な好条件がありますよね。


確かにそうですね。


日本の最も代表的な道として「東海道」がありますが、もともと東海道は都のできたところからスタートするので、例えば、大和に都があった頃は大和からスタートして、今でいう東北の方面まで延びていました。最後は平安時代に京都から東海道がスタートして関東まで行きましたので、近江は京都の東の玄関口だったんです。794年に京都に都が置かれたことによって、今まで単なる通過点であった近江の地が大きな脚光を浴びてきたと言えるでしょう。

そういうことで、京の都から今まで一地方であった近江に先進的な文化が入る。どこからやって来るのかと言えば、それは道からです。東海道を通って。文化は人が持って来ますので、道があるというのは“文化が走る”ということなんですよ。


第2回「近江は情報の交差点」

単に人やモノが通るだけではないということですか?


そうです。人間というのは情報を持っていますから。その情報が道を通じて、周辺の地域に移されていくんですね。私はそれこそ、これまで念仏のように、「道は文化の伝播者である」とか「道は情報の伝播者である」ということを言ってきたんですよ(笑)。


「道」は歴史的・文化的に本当に大きな役割を果たしてきたんですね。


約410年前の江戸時代初期、徳川家康が天下を取ったときに、最初に手掛けたのが街道の整備でした。国を治めるためにもきちっとした道を整備する必要があると考えたんですね。道だけではなく、人々が旅しやすいように宿場を作りまして、日本で最初に宿場を設けたのは東海道で、関ヶ原の合戦のすぐ後でした。従来の東海道をそのまま踏襲して、近江には5つの宿場ができたんです。土山、水口、石部、草津、大津ですね。続いて中山道が整備され、宿場は柏原、醒井、番場、鳥居本、高宮、愛知川、武佐、守山までで、草津と大津は東海道と共有です。


これまで道が存在したところに「宿場」という拠点ができたんですね。


宿場ができたところが、のちの市町村の中心になっていきます。自分たちの営みの場、いろんな情報を得る場というのは宿場に集まってくるんです。たとえば「近江商人」は情報を商いにした一番典型的な人たちじゃないでしょうか?なぜ近江からこういう商人が出たのか。私は、その原点は情報が行き交い、文化が行き交う「道」にあるのだと思いますね。


なるほど。江戸とか大坂とかは最終的に集計地でもありますが、近江は街道筋という“通る場所”でもあるということで、さまざまな街道の情報が行き交う交差点みたいな場所なんですね。


そうです。今回、文化講座で取り上げようと思ったのは、「東海道」「中山道」「北国海道」・・・これはかつての北陸道ですので、奈良時代からある街道です。あとは「御代参街道」「朝鮮人街道」「杣(そま)街道」「八風(はっぷう)街道」ですね。これらの“街道の持っている性格というのは一体何ぞや”ということを読み解いていこうかと。いろいろな読み方を進めることで、道が動くと思いますよ。


“道が動く”、と言いますと?


たとえば、あそこは織田信長が走って逃げていった道やとかね。今自分たちが通ってきた道はそんな人も通ったのかと、毎日通る道が違った意味を持つようになります。歴史上著名な人たちが通ってきた、というのは他の県ではなかなか無いですよ。

紫式部は越前に行くときに琵琶湖を縦断しました。湖の上も一種の道ですから。今回の講座ではタイトルに挙げていませんが、時間があれば湖上の道の話もしたいですね。これも近江だけでなく日本の歴史文化を築いてきた要因の一つなので。


湖上の道とは、なんだかドラマティックですね。ところで、近江の歴史について世の中の関心は高まっているとお考えですか?


昨年、2回目の「びわ湖検定」がありましたが、その前にセミナーの講師を務める機会がありました。県庁で2回、近江の歴史などについてお話させていただいたんですが、ものすごい人でしたよ。私もうかうかできないなと、これはもっと勉強しないといけないと思いました(笑)。私は歴史の案内人。これまで多くの方々に教えていただいて、今日の私があるわけですが、これからは私が蓄積してきたものをできるだけ皆さんに知ってもらいたい、恩返しをしたいと思っています。

ただ、私の立場では、きちっとした事象を捉えてないといけないので・・・。それはそれで苦しいところがあるんです。というのも、「今の話は、私が読んだ小説の話と違うんですが、それは先生が個人で考えていらっしゃるんですか?」といった質問をされることもあって。そういうときは「これはこの資料とこの資料と」って説明するんですがね…。


第3回「街道をきっかけに滋賀の魅力を伝えたい」

歴史ファンなら歴史小説が好きな方も多いでしょうね。


そうなんです。たとえば、ある歴史小説に「源義経が仰木(おおぎ)峠を越えて、目の前には琵琶湖が広がっていて・・・」というような、まさに臨場感あふれる描写があるんですけど、それを読んだ方から「先生、私は源義経の歩いた道を歩きたい!」と言われたこともあります(笑)。小説を読んで、その内容が事実と思い込んでる人もいるわけですよ。ですが、源義経や仰木峠が実際に存在するという事実、それは無視できませんからね。だから、そんな道を歩いてみたいという探究心はすばらしいと思います。だからどんどん読んでくださいねって言っているんです。


お話を伺っていると、受講者の方も非常に熱心ですね。


いま若い人も含めて歴史ブームなんですよ。大学で教えていても、受講生がどんどん増えているのはわかります。

人間の刻んできた歩みを現代に生きる私たちがどう見ていくのか、ということにおもしろみがあるんでしょうね。実際、歴史にはまだまだ明らかになっていないことがたくさんあります。謎=ロマンなんですよ。ですから、皆さん方がそれぞれ解釈できるというのは、こんなにすばらしいことはないですよね。


ところで、先生は2008年、成安造形大学内に「近江学研究所」を立ち上げられましたね。


はい。滋賀県内の大学でも10年くらい前から“地域に開かれた大学”というようなことが枕言葉になってきました。大学は閉ざされたものではなく、地域の人に愛されて、親しまれてその場所にあることが大切だという考え方です。成安造形大学でも「近江学」というものを計画的・継続的に進化させ、地域に還元するために、一昨年に研究所(近江学研究所)を立ち上げたんです。公開講座をやったり、通信誌を出したりして、できるだけ共感をもってもらえるように進めていきたいなと思っています。


これから動いていくという感じですね。先生のますますのご活躍を楽しみにしています。


私はほんとに案内人ですので、あんまり難しいことはお話できません。ただ、なんでもない日常の営みの中で興味をもってもらえるように、これからもがんばっていきたいですね。


先生のお話を聞いて、文化的・歴史的に大きな意味や役割を果たしてきた場所に、自分がいるということを実感するきっかけになるんじゃないかと思います。さまざまな視点からご紹介いただけるというのは、本当に楽しみですね。


近江という地域はその視点がとても多様なところです。なぜ今も滋賀県の人口が増え続けているのか。それには滋賀の三つの魅力があるからだと思っています。まずは自然環境。県の6分の1もの面積を占める琵琶湖と、琵琶湖を取り巻く多彩で美しい山系、かけがえのない景観の素晴らしさ、四季の移ろいが感じられる点ですね。二つ目は、さまざまな文化的歴史的遺産が数多く集中していて、すぐ手の届くところにあり、簡単に追体験できることです。三つ目は1日あれば琵琶湖一周できるという交通の便の良さ。

私の知り合いにも、大阪や東京から滋賀県に転居した人がたくさんいます。若いときではなくてある程度の年齢になってから。


人生経験を積んだ人のほうが、滋賀の魅力をより感じるということなんでしょうか?


いや、若いときに滋賀県に来た経験がきっかけみたいですよ。宣伝すればするほど増える可能性は高くなると思いますよ。

うちの大学の地方から来ている学生でも、最初は「私の住んでいるところよりも田舎ですね・・・」って言うんだけど、2回生、3回生になってきたら、滋賀県の魅力に取りつかれて、故郷へ帰らずに滋賀や京都で就職したいって言う学生が多いです。だから若い人を増やすためにも、どんどんPRしたいですね。


先生の今回の講座は、滋賀県の魅力を広める新しいきっかけになると思います。

今日は本当にありがとうございました。4月からの講座もどうぞよろしくお願いいたします。


講師プロフィール

成安造形大学名誉教授 木村 至宏 (きむら・よしひろ)

1935年滋賀県生まれ。大谷大学大学院中退。大津市歴史博物館初代館長を経て、96年から成安造形大学教授、2000年同大学学長就任。09年同大学名誉教授、同大学近江学研究所所長。専攻は日本文化史。主な著書に『図説滋賀県の歴史』(編著・河出書房新社)『図説近江の街道』(編著・郷土出版社)ほか。

バックナンバー